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著者 : 三四郎
| 撮影 :Shigeru Ueki |
第1回 〜シングルマザーに愛を・・・。〜 |
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フィリピンに来る日本人男性の目的は、一番目にフィリピーナ、二番目に仕事である。えっ? 一番目にフィリピーナと言い切る? と疑問符を投げかける諸兄、よく考えてもらいたい。日比間の一大産業とも言えるフィリピンパブ業界、付随するプロモーション業界。この業界はもろフィリピーナが仕事である。そしてフィリピンに工場があるような大手企業の駐在員はもちろん仕事を第一の目的として来ているが、仕事が終わればそそくさと夕食を食べてカラオケに直行する人も多い。悲しい男の性である。
個人でフィリピンに来ている人はなおさらのこと。渡比目的自体が日本で知り合ったタレントを追いかけること、という通称「追っかけ」。あるいは結婚の承諾を得るために田舎の彼女の両親に会いに行く人。特定の彼女を持たずフィリピン現地で知り合うことを考えている人。日本人男性のフィリピン旅行に、フィリピーナの存在は欠かせないのが現実である。
日本人男性とフィリピーナとの個人的付き合い。その実態はどうかというと、プライベートな話であるから当然ベールに包まれているが、なかなか一筋縄では行かないようだ。多額のお金を貢いだ人。結婚をしたが、短期間で離婚をしてしまった人。家を建ててやったが、一族に獲られてしまった人。逆に結婚生活が20年以上も続いている人もいる。成功例、失敗例を数多く漏れ聞くが、実際はどうなのだろう。
よく考えてみると、男女間の恋愛というものは学校では教えてはくれない。個人個人が自分で学ぶしかない。ましてや異民族のフィリピーナ相手の恋愛である。言葉も文化も考え方も違う。そんな異文化間コミュニケーションの極みがフィリピーナとの恋愛といえるだろう。その実態には個人間で相当な差があると予想できる。
日本人男性には、学生時代は勉強、社会人になったら仕事に追いまくられ、女性をどう口説けばよいか分からない人が多い。恋愛が成就しなければ、結婚も無く、子供も出来ない。いえいえ、結婚をしなくても子供はできるがそれはさておき、学校で恋愛について全く教えないことが、少子化路線をひた走る日本人の大きな間違いなのではないだろうか。
そこでフィリピン幸福論の番外編として、三四郎が10年にわたって実地で研究した成果を今月から「フィリピン恋愛論」として論じることにする。ご期待いただきたい!
さて、読者の方々の中に、フィリピンにおけるシングルマザーの多さに気付く人はいないだろうか? フィリピンでは高校を卒業するか、しないかの17、18歳で妊娠して子供を産んでしまう女性が本当に多い。これは日本との大きな違いだ。父親はもちろんフィリピン人で、高校の同級生や年上の妻子持ちなど、思わず首をかしげるような相手の場合が多い。
日本ではそのような妊娠は早いうちに泣く泣く堕胎してしまうのだろう。しかし、フィリピンでは宗教上の関係で堕胎が法律で認められていない。望まぬ妊娠をした女性は闇手術でおろしたり、胎児を流すために禁じられている薬に手を出す。出産までに何らかの形でおろしてしまう割合もかなりあると思われるが、フィリピンで最も当たり前の判断はそのまま産んでしまうことである。
若くして妊娠した女性の多くは悩みつつもそのまま子供を産んでしまうのである。相手の男性は責任をとって結婚することもあるが、多くのケースは責任をとらず、妊娠中に別れてしまう。そして、残された妊婦は子供を産み、シングルマザーとして育てていく。父親がいない母子が取り残されるのである。18歳という一番性衝動に駆られる時期に若者が過ちを犯すのは仕方が無いのかもしれない。しかし、仮にも一人の人間が誕生するのである。日本ならばその女性の人生に確実に大きな負担を強いるだろう。
しかし、なぜだろう。フィリピンのシングルマザーには日本のような暗さが無い。カソリックという宗教は堕胎を禁じる代わりに、父の無い子も一人の子として神に祝福されて授けられたという認識なのである。
周り中そんなケースで溢れているという状況もあると思うが、母親の肩に経済的な負担、そして胸奥に男に裏切られた想いを残しつつも、子供は母の一族に祝福され、愛されて育つのである。
フィリピンは母系家族である。お祖母さん、お母さん、本人、娘と続く女の絆が世代を繋いでいく。男は基本的に種をつけるだけであり、飲んで遊んで暮らしていても浮気をしなければ家族は壊れない。
江戸時代以前の南西日本では夜這いという習慣があった。お父さんが誰か分からない子供が生まれても、母系家族で育てていくという東南アジアからの流れだろう。逆に北東日本では騎馬民族からの流れで家畜の血統管理と同様に父親が誰であるかが重要であり、したがって父系家族であるという。
美しく生まれた女性をフィリピンの男どもは放っておかず、処女は17、18歳で刈り取られてしまう。そして、避妊をしないため、簡単に子供ができる。自分の子供を母や従姉妹に預け、家族のために働きに出る。自分ひとりが生きることさえ大変なフィリピンで、親、兄弟、子供の生活を背負うのである。
やれ家族の誰かが病気になった、新学期で学費が必要だ、とひっきりなしにお金が必要になる。特に長女はパガナイと呼ばれ、たくさんの弟妹の世話を焼く。その家族に対する責任感の強さたるや、刷り込まれたように強烈である。高校を卒業すれば、家族のためにお金を稼ぐ。自分を犠牲にして大学にも進学できず、学歴も無い彼女にとって手っ取り早く稼げるのは水商売である。
考えてみると、フィリピンでは本来金銭的に恵まれていれば大学を卒業できたであろう能力の女性が、水商売で働いている。能力のある頭のいい子も散見される。そして、日本人ならば大学生活に、バイトに、恋愛にと、若い人生を謳歌している時期に家族を背負って働いているのである。
当然、人間は出来てくる。たくましく生き抜く力、自分の心の痛みに耐え、他人の痛みも共感できる力がついてくる。しかも、若くして子供を育て母性が開発されている。本来女性が持っている能力が十分に引き出され訓練されていると言っていいのである。
二十歳そこそこで子供が一人いる。それが何のことがあろう。野球で言えば、第一打席で死球をぶつけられたようなものである。まだ、でっかいホームランを打つチャンスはあるのだ。読者の方々には、子供がいるというだけでお店での指名を避けることは慎んでもらいたい。子供がいるから、彼女の魅力は引き出されているのである。三四郎は言いたい。シングルマザーに愛を・・・。
第2回 〜駐在員 vs.カラオケGIRLS〜に続く!
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