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著者 : 三四郎
| 撮影 : Vito Cruz |
第8回 〜子供が溢れるフィリピン!〜 |
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私事で恐縮だが、昨年のクリスマス前にマカティへ引越しをした。今までパラニャーケに住んでいたのだが、毎日通うマカティにも遠く、渋滞も酷いので、思い切ってマカティで一人暮らしをすることにした。
マカティといっても、高級コンドミニアムが林立するビレッジではない。PNR(フィリピン国鉄)の線路に程近い、民家がひしめきあう下町のバランガイだ。5階建てのコンドミニアムの4階に月7千ペソで1BRの部屋を借りた。しっかりした鉄筋の建物で立派なエレベーターもあり、一人で暮らすには充分な部屋の広さもある。
難点を挙げるならば、水シャワーか。これは生まれて初めてで、結構きついものがある。また、今の乾季のような時期は良いが、雨季になると辺りの道は一面のバハ(洪水)になる。幸い、車を持っているので文字通りの「陸の孤島」になるのは防げると思うが、一抹の不安がよぎる。
もう一つの不安は、コンドミニアムの裏にスラムがあることだ。スラムといっても立派なもので、トタン板のつぎはぎの3階建てに何十人も住んでいるようだ。そもそも、PNRの線路に沿って延々とスラムが細長くへばりついているのだが、線路沿いのフェンスを越えて、こちらのバランガイまで進出したかのように存在している。
初めて自分の部屋で寝た晩は、明け方を過ぎてもなかなか寝られなかった。なぜなら、早朝からとにかくうるさいのだ。彼らの朝はとても早く、午前5時頃には路上に停めてあるジプニーのエンジンをブルンブルンと掛け始め、男たちは仕事に出かける。
そして、私が引越して初めて迎えた記念すべき朝、子供達は朝6時から路上でサッカーを始めた。声で判るのだが、かなりの人数でエキサイトしている。しかも、サッカーボールでなく、あろうことか大きな缶を蹴りまわしている。朝6時から缶サッカーをやる子供達の騒音を考えてみて欲しい。思わずサッカーボールを買いに行って、彼らに寄付したいと思ったほどだ…。
それだけではない、すぐ近所を通るPNRのディーゼル機関車が、線路脇で生活するスラムの人たちを追い散らすために汽笛を鳴らす。これがものすごく大きな音で、ゾウの鳴き声のようなやるせない響きを立てながら走る。しかも徐行でゆっくりと。
また、いつも道にテントを立てて人が集まっている。何かと思えば葬式である。夜中も関係なく何日もギターに合わせて歌ったり、飲んだり、賭け事をしたり…。
いやはや、こんなところで生きて行けるかと不安になったが、引越しして一ヶ月後にはすっかり慣れてしまい、いまや少しも気にならない。住めば都とはよく言うもので、あのうるさい汽笛にも情緒を感じてしまう今日この頃である。
前置きはこのくらいにしておこう。今月の幸せは、フィリピンは子供がとても多いことである。一度、4階のベランダから路上で遊んでいる子供の数を数えたことがある。ざっと見て40人ほどの子供達が路上で遊んでいる。今の日本ではありえない光景である。自分が子供の頃に暗くなるまで路上で遊んでいたことを思い出し懐かしくなる。
フィリピンの人口は現在8,400万人。その内、49.8%が未成年という。年齢別人口分布グラフは綺麗なピラミッド型をしている。人口増加率は高止まりし、27年後の2030年には今の2倍の1億7千万人になるという。毎年、200万人の若者が成人し職を探す。が、まともな就職をするのは非常に難しい。マニラならまだしも、地方ではもっと難しいだろう。
若者は必然的に海外で働くことを夢見る。看護士、介護士、船員、コック、電気技師。そして、黄金の国ジパングにはエンターテイナーとして。人的資源は尽きることがない。若者が多い社会は活気に溢れる。無職の若者が多いから、少しやけっぱち的な活気ではあるがとにかく明るい。
カソリックという宗教的に避妊はしてはいけないことになっている。堕胎はおろか、コンドームも公には勧められていない。高校を卒業した18歳にも満たないカップルが、どんどん子供を作ってしまう。子供が出来ても結婚をせずに別れてしまうカップルが多いので、シングルマザーが巷に溢れている。これが社会問題にもならず、お祖母さん、お母さん、若い母親、娘と綿々と続く母系家族の中で、どんな子供も祝福されて育まれる。
フィリピンでは多くの一族に囲まれ、常に何人もの赤ん坊が身近にいる。男女を問わず、誰もが子供の頃から赤ん坊の世話に慣れている。だから若い母親も赤ん坊を周りに預けて、息を抜くことが出来る。一方、日本では核家族が進み、自分が出産するまで赤ん坊の世話したことがなく、ぶっつけ本番で子供を育てる。近くに頼りになる人もなく、子育て中に母親が孤独に苛まれノイローゼになり、自分の子供を愛せずに虐待するケースもある。そうなってしまうのも分かるような気がする。
フィリピン人は社会保障制度がなく、老後は子供に面倒を見てもらうのが普通である。貧しくとも父親母親の権威は保たれ、兄弟は助け合う。クリスマス、誕生日には一族が集まり、無事を確かめ合う。日本人は社会保障に頼り、家族が仲違いし、親を老人ホームに入居させる。
あまりにも単純な構図で多くの例外もあるであろうが、子供が溢れるフィリピン。
これも一つの幸せといえるのかもしれない…。
第9回 〜MLによる新しい日本人ネットワーク〜に続く!
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第7回 フィリピン激安暮しの幸福 |
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