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著者 : 三四郎
| 撮影 : Vito Cruz |
第五回 〜異形に寛容なフィリピン〜 |
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読者の皆さんは、このような話を聞いた事があるだろうか?
フィリピンで指が6本ある赤ん坊が生まれた。日本であれば、生まれた時点で「奇形」として6本目の指を切り落とすだろう。しかし、フィリピンでは「神様の贈り物」という感覚で6本目の指を残すのである。神様がこの子を祝福してくれて、指を余計にくれたのだと。
また、街中を歩いていて、オカマが多いことに気付かないだろうか?。タガログ語でオカマのことを「バクラ」と言う。彼らはフィリピン社会で立派に市民権を得ている。なぜこんなにたくさんいるのと思うほど、そこら中にいる。美容室で働いている人の半分はバクラである。はじめの内は「小汚いオカマめ!あっちに行け!」と思っていたのだが、最近ではすっかりバクラの存在に慣れてしまった。今ではバクラのコメディーショーをわざわざお金を払って見に行くほどである。
オカマだけかと思ったら、オナベまでいる。彼女達のことをタガログ語では「トンボイ」と言う。髪を短く刈り込み、MMDAの黄色い制服を着て、道で交通整理をやっているおばさん達を見かけるであろう。彼女達の多くはトンボイである。彼女達もフィリピン社会で市民権がある。
このようにフィリピン社会は異形(いぎょう)の人間に寛容である。顔かたちが少々不恰好であろうとも、変なオカマ言葉をしゃべって嬌声を上げようとも、男が男を、女が女を愛そうとも許されるのである。その人に周りの仲間との協調性があれば、人々は難なく受け入れるのである。
「彼女はいい子だよ、やさしいからね」
他人へのやさしさがあれば、周りの人はかなりきわどい人間でも受け入れる。家族はもちろんのことである。そんなフィリピン人社会にあなたも安心してご厄介になればいい。言葉がしゃべれなかろうと、大してお金を持っていなかろうとも、フィリピン人は受け入れてくれる。彼らが嫌がるのは、彼らの小さな和を乱されることである。日本人だからと言って居丈高に説教をしてみたり、日本風のやり方を押し付けてみたり、相手の非を咎め、大声をあげて叱ってみたり…。ここはフィリピンなのだから、彼らのやり方に合わせればいいのだ。
フィリピン人の群れに流されるように自分の判断をゆだねてしまう。かすかな不安もよぎるのだが、日本と比べて何倍かの時間がゆっくりと流れ、そこそこの結果が出てくる。急く必要は無い。それほど悪くない状況になっている。そこそこの味。そこそこの楽しみ。そこそこの幸せ…。
フィリピン人にとって外国人のあなたは「異形」なのである。フィリピン人のホスピタリティとは、裏を返せば「異形」に対しての寛容性のことを言うのだと思う。パッと見た感じがおかしくても、これと言って何も言わずに受け入れてしまう。とりあえず相手に気を使って受け入れる。それがフィリピン人のホスピタリティである。相手に受け入れてもらったら、相手の和を守ることにこちらも少し気を使う。少しでいい。皆が楽しめるように少し気を使う。自分が主役になるまでも無い。
今、この文章を読んでいる読者の中には、フィリピン人女性と結婚する為にフィリピンエアラインでマニラに向かっている方がいるのかもしれない。そんな人にアドバイスをするならば、彼女の両親や家族に受け入れてもらうには、特別な挨拶や高価なプレゼントはいらないということだ。彼らの和に素直に溶け込めばよい。微笑とちょっと気を使うこと。えばらないこと。簡単なジョークを少し言うこと。面白くなくてもいい。そして、相手に少し甘えることだ。
フィリピン人のアットホームなカジュアルな和の中に浸り、日本での緊張感を癒してみて欲しい。日本に帰りたくなくなること請け合いである。
第6回 〜貧しさゆえ、豊かなるフィリピン〜に続く!
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第 4回 〜戦士と乙女〜 |
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