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著者 : 三四郎
| 撮影 : Vito Cruz |
第四回 〜戦士と乙女〜 |
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日本人がなぜフィリピンに填まるのか?。私はこう考えている。日本での仕事や人間関係で緊張していた神経が、フィリピンに来ると弛緩する。その精神的な緊張と弛緩の大きな落差。これこそフィリピンが日本人をとりこにする根本の原因なのである。
日本人は非常にしんどい毎日を送っている。肉体的よりも、精神的に疲れている。複雑な人間関係、少ない休み、良くならない景気や自分を偽る「仮面」をかぶっての仕事。そんなある日、ひょんなきっかけで「フィリピン」と出会う。同僚に誘われてフィリピンパブと呼ばれるお店に連れてこられたのかもしれない。あるいは、フィリピンへの出張がたまたまあったのかもしれない。
お店で働くフィリピーナというフィリピン的な考え方が具象化された「物体」に遭遇して、日本人は軽いカルチャーショックのような感覚を受ける。この明るさは何だ?この幼くあけすけな感情表現は何だ?この段取りの無さ、この約束の守らなさ、この礼儀の無さは何なのだ??
世界史の奇跡とも思われるほど無理やり発展した極東の先進国を背負う企業戦士と、ラテンの血と南の島の血が程よく混じり、歌と踊りと愛一筋にその日暮らしを生まれてこの方続けてきた乙女が出会ったのである。ほとんどの場合、初期段階で戦士は乙女の持つカルチャーに強い拒否反応を起こす。だからフィリピンはだめなのだ。だからフィリピンは発展しないんだ。だからお前らはいつまでも貧乏なのだ…。
しかし、戦士は乙女と会い、彼女のカルチャーに触れるひと時、今まで決して癒されなかった自分の神経が深く癒されていることを感じる。今まで、どれだけ温泉に行っても、アウトドアでキャンプしても、日本人女性と恋愛をしても癒されなかった「しこり」のようなものが、やわらかく溶けていく。
戦士が拒否反応を起こし、批判していた乙女のカルチャーが、実は自分も物心がつき「仮面」をかぶり始める前に持っていた、傷つきやすい、剥き出しの幼さ、愚かさや喜怒哀楽と同じものであることに気づいてしまうのだ。自分の本質を素直に出せる乙女のカルチャーに、無意識の内に乗せられ、共感していく。それが「仮面」の下の「しこり」を解きほぐされる感覚と重なるのである。
フィリピンパブが入り口段階であるとすると、実際にフィリピンに来ることはもう一段フィリピンに踏み込んだことになる。そこは戦士を癒す乙女達を育て上げた「本場」なのである。フィリピーナとの恋に落ちた人には、是非フィリピン現地に来てみたらと言いたい。フィリピンパブの彼女達は所詮、金魚鉢の金魚。狭い場所に押し込められ、ガラスに鼻をぶつけているのだ。現地で生き生きと飛び跳ねる熱帯魚のごとき彼女達の姿を見に来なさい、と。
フィリピンの玄関口、マニラに着いた戦士は、当初大きな違和感に見舞われるだろう。雑然とした街並み、カオスのような車の渋滞、信号無視、車線無視の車、歩道無視で歩く人々。数日して表面的な違和感だけでなく、一歩踏み込んで接したフィリピン人の態度に対しても大いに嫌悪感を持つことになる。ウェイターのだらだらした態度、レジの長い列、チップを強請る空港職員、ポン引き、物売り、メーターを押さないタクシー運転手。
まだ、戦士はフィリピンの良さを知らない。それは誰もが通る通過儀礼であって、乙女を育てたフィリピンの本質ではないのだ。観光客の世界から、もう一歩踏み込んで周りを感じてみよう。肩の力を抜いて足元や身の回りを見渡してみる。差し出されたビールを飲み干してみよう。乙女を育てた日本とはリズムの違う世界が感じられるようになるのだ。左脳で考える理屈の世界ではなく、右脳の感覚の世界なのだ。
彼女たちの世界とは…。
言いたいことを言う。誰がどう思おうと気にしない。
食べたい物を食べる。食べたくない野菜は残す。
起きたい時に起きる。眠かったら、いつまでも寝る。
べたべたしたい時は、べたべたする。二人の愛は見せ付ける。
怒りたいときに怒る。泣きたい時に泣く。笑いたければ笑う。
要はやりたいことをする。やりたくないことはしない。フィリピンでは許される。日本では人の目がある。暗黙のルールがある。自己規制をせざるを得ない。フィリピンでは日本人は異邦人である。ケチに喜びを感じるならば、思う存分ケチをやれ。大盤振る舞いが好きならば、フィリピン人を10人連れてレストランに行って、食べさせてやれ。何人もの女性と浮気がしたければ、やってみればよい。法律の範囲内、常識の内であるならば、やってみよう。
自分に正直になれば、相手もあなたに寄ってくる。緊張が取れれば表情もほぐれ、微笑が自然に浮かぶようになる。人にどう見られてもいい。本当の自分を出すことが出来れば、どんなに格好悪くても、共感してくれるフィリピン人はいる。彼らはやさしい。
自己を束縛する鎧を脱ぎ、自分に正直な自分になってみよう。フィリピンに居る間は戦士を辞め、一人の異邦人になってみよう。頭で考えず、無意識にそんな自分になれたとき、あなたはフィリピンに填まっているだろう。日本に帰るとフィリピンを思い出し、震えるような「禁断症状」が出てくる。またフィリピンに行きたい自分がいる。
第五回 〜異形に寛容なフィリピン〜に続く!
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第三回 日本人がフィリピンに填まる理由 |
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