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著者 : 三四郎
| 撮影 : Vito Cruz |
第二回 〜踊り狂う人々〜 後編 |
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フィリピン人は子供の頃から、それこそ二歳、三歳の幼児の頃から、ダンスミュージックに合わせて踊ることができる。子供が歌ったり踊ったりすると、やんや、やんやと親が手放しで褒めちぎる。小学校低学年くらいになると、かなり高度な、テンポの速いダンスもできるようになる。
以前、知り合いの誕生日パーティに招かれて、小学校4年生くらいの女の子達のすごいダンスを見たことがある。こんな年端の行かない子供が、こんなに完成度の高いダンスを踊るのかと、その時、僕は空いた口がふさがらなかった。フィリピン人と日本人は、やはり人種が違うと、真剣に思ったものである。
彼らが、誕生日パーティやクリスマスパーティを大好きなのは、ご存知の通りである。それらのパーティの最後には必ずディスコタイムがある。子供だけでなく、大人になってからも、職場のクリスマスパーティなど、いろんなパーティでダンスをやる。彼らが公園の片隅にラジカセを置き、グループで振り付けの練習を熱心にやっていたりする光景を目にする。
あらかじめ決まった振り付けで踊るだけなら、日本人だってパラパラのように速いテンポで踊る人もいる。フィリピン人がすごいのは、その場でリズムに乗せて、体の動くままに踊ってしまうことだ。これは本当に真似が出来ない。揉み手で東京音頭を踊るのとは、訳が違うのだ。多分、小さい頃から踊って、踊って、踊り倒してきたのだろう。16ビートは考えていたら踊れない。無意識に体がリズムに乗って綺麗に動くのだ。
彼らがフィリピンでダンスの練習を一生懸命やっているのと同じ時期、僕は日本で塾に通い、受験勉強をシコシコやっていたのだろう。僕が一生懸命、九九を暗誦して覚えていた時も、漢字の書き取りをしていた時も、彼らはダンスを練習していたのだ。そんな僕が彼らにダンスで敵うわけがない。彼らと音楽に合わせて一緒に踊りたいのは山々だが、リズムに手足の動きが合わせられなくて、次にどう動けばいいか分からなくて、いやに肩が凝って、暑くもないのに額に変な汗もかいて…。やめておこう…。とりあえず、ビールでも飲もう。
“ Sorry ha ! Hindi ako marunong eh ”
(ごめん、ダンスは出来ないんだ…)
残念そうな顔をする君には悪いけど、一緒にダンスは踊れない。今、ここで君と過ごせて幸せなんだけど、君への熱い想いをダンスで表現することは出来ないんだ。そもそも、日本人は感情を押し殺すことが美徳とされている。「一喜一憂」というように、その時々の感情を表に出すと、周りの人に侮られてしまう。
その上、いつも自分の感情と逆の行動、例えば上司のくだらない話に、「そうですねえ」などと愛想笑いなんかしていると、いざという時に、自分自身の本当の感情さえ、よく分からなくなってしまうんだ。おっと、そういえばフィリピン人も愛想笑いは得意だったよね。
まあ、いいや。とにかく、素直に感情を表せる君達がうらやましい。人間らしく泣きたい時には泣き、腹が立ったときには怒り、嬉しい時には笑顔で踊れる君達がうらやましい。思っていることを、そのまま捻らずにストレートに表せる君達がうらやましいよ。
“ OK ka ba ? Lasing ka na ba? ”
(あなた、大丈夫?、酔っ払ったの?)
横に座る「お友達」が不思議そうな顔をして、僕の顔を覗き込んでくる。
“ Wala! Inom tayo! ”
(なんでもない…。ほら、いいから、もっと飲もうよ!)
若いフィリピン人が踊り狂う、喧騒に満ちたエルミタのライブハウスで、今夜もマニラの夜は幸せに明けていくのだ。
第3回 日本人がフィリピンに填まる理由に続く!
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